2014/09/06

一九八四年

 ジョージ・オーウェル。前回の「華氏451度」はテレビと言うメディアが登場して、活字が失われ、人々が思考することを放棄し始め・・・等、当時の世相を進めた世界を嘆いたものだったけれども、より苛烈な設定だった。
 特にニュースピーク(新語法)という語彙をとことん単純化して、思想犯罪を防止しようという新たな言語の話が非常に恐ろしく・・・。確かに言葉にできないような何かの感情なりなんなり(名状しがたき何とやら)っていうものの存在はあるとは思うけれども、実際大半は言語という一つの基準点を基に思考を構築したりしてるしなぁ。そもそもの語彙がないとその基準点が設定できない、至れない思考が出てくる。うわぁ・・・やだぁ・・・
 関係ないけれども、最近再放送されているPSYCHO-PASSで槙島とチェグソンで本の引用合戦?じゃないけど、SFが列挙される会話シーンがありました。リアルタイムで見たときは知らん本ばっかりなので、なんだか衒学的でぐぬぬ・・となってたんですが、最近のSF読み漁りのおかげでなんとなく言ってることが掴めたのでずっと楽しく見られました。やー、本は読んどくもんだなー。

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